ぐっぼる クライミング講座

クライミングの歴史

〜なぜ人類は、落ちるとわかっていて岩に登るのか〜

ぐっぼる クライミング講座 第I部
講師:由井辰美(クライミング歴30年以上)

クライミングの歴史 I — goodbouldering.com
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今日の問い

あなたが今ジムで握っているカラフルな樹脂のホールド。
あれはたった数十年前まで存在しなかった

その前は——岩、ロープ、鉄の楔、そして「死」が隣にあった。

今のクライミングは、240年分の試行錯誤・対立・発明の最先端だ。

この講座で分かること

  • なぜ「登山」が「ボルダリング」にまで枝分かれしたのか
  • パタゴニアとノースフェイスが岩から生まれた理由
  • 日本にしかない「沢登り」という宝物
  • そしてなぜ、五輪種目になったのか
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第1章

すべては「登るために登る」から始まった

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1786年、人類は意味もなく山に登った

それまで山は「怖いもの・避けるもの」だった。神の領域、魔物の棲家。

  • 1786年 — モンブラン(4,808m)初登頂
  • 「そこに山があるから」——実利のない登山=アルピニズムの誕生
  • この瞬間、人類史で初めて「登ること自体が目的」になった
   ┌─ 食料・狩り・移動  ← それまでの「登る」
   └─ 純粋な挑戦・征服  ← 1786年以降の「登る」 ★ここが原点

覚えておくこと:最初、岩は頂上へ行くための「邪魔者」だった。
やがてこの岩が、主役に躍り出る。

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「岩そのもの」が目的になる(1900前後)

頂上ではなく、途中の岩壁を登ること自体に熱中する者が現れた。

地域 何が起きたか
ザクセン(独・エルプザンドシュタイン) 「道具に頼りすぎない」倫理が世界最古に芽生える
英国 湖水地方 岩登りが一般市民の趣味へ大衆化
ヨセミテ(米・カリフォルニア) 数百mの一枚岩。後の聖地

ザクセンのクライマーは100年以上前に既に言っていた——
「岩を傷つけてまで登るのは、登ったことにならない」

この「美しく登るとは何か」という問いが、歴史をずっと動かしていく。

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第2章

一本の木が、枝分かれする

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クライミングは「1つ」ではない

登山という幹から、目的と舞台ごとに種目が枝分かれした。

                    登山(アルピニズム)
                          │
        ┌─────────────┬───┴────┬──────────────┐
   アルパイン      ビッグウォール   フリー        沢登り
   (高山・氷雪)   (巨大岩壁)   クライミング   (日本独自)
                                    │
                          ┌─────────┴─────────┐
                       ルート(リード)     ボルダリング
                       ロープで高く        ロープなし・数手勝負

初心者がジムで最初にやる「ボルダリング」は、実は一番"新しく純化した"枝。

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枝① ビッグウォール:垂直の数日間

ヨセミテの エル・キャピタン(約 1,000m の一枚岩) に代表される世界。

  • 1日では登れない。壁の途中で吊られて眠る(ポータレッジ)
  • 1957〜60年代、ヨセミテで爆発的に発展
  • 大量の鉄の楔(ピトン)を岩の割れ目に打ち込んで登った

そしてここに、後の大事件の種が蒔かれる——
打って・抜いてを繰り返すうちに、岩の割れ目がボロボロに破壊された
(→ 第4章のパタゴニア誕生秘話へ)

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枝② フリークライミング:道具は「保険」だけ

どこまで道具に頼っていいのか」という思想闘争の答え。

エイドクライミング フリークライミング
前進の手段 道具に体重を預ける 手足だけ
ロープの役割 登るために使う 落ちたとき止めるだけ
  • 1970年代、ヨセミテの ストーンマスターズ 世代がフリーの価値観を世界へ
  • 「ロープにぶら下がったら負け」という美学

登るのは自分の指と足。ロープは、死なないための保険。
——この線引きが、今のスポーツクライミングの大前提。

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枝③ ボルダリング:高さを捨て、1手に賭ける

ロープを使わず、数手の難しさだけを全力で競う。

  • 元は「本番ルートの練習」「順番待ちの暇つぶし」扱い
  • ジョン・ギル(米・1950〜60s)が体操の動きを持ち込み独立した思想へ
  • 競うのは「高さ」ではなく「1手の難度
  • 分厚いマットの普及で、誰でも安全に始められる入口

今あなたがぐっぼるでやっているのが、まさにこれ。
道具は靴とチョークだけ。クライミングの最小単位にして最新形

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枝④ 沢登り:これは日本の宝だ

世界に類を見ない、日本で独自に発達したクライミング。

  • 沢・滝・釜(滝壺)を水に濡れながら遡る(=シャワークライミング)
  • 1980年代から本格化。決められたルートがない
  • 滝を登るか・高巻くか・釜を泳ぐか——全て登る者の自由

「下る」のがヨーロッパ発のキャニオニング。
「登る」のが日本発の沢登り。

日本には「神が宿る滝」を歩いて渡ることを礼拝とする文化があった。
スポーツになるはるか前から、登りは日本人の生活と信仰の中にあった。

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第3章

ヨーロッパ と 日本 ——岩への向き合い方の違い

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同じ「登る」でも、文化が違う

ヨーロッパ・アルプス 日本
舞台 4,000m級の氷雪・岩稜 低山・沢・花崗岩の岩場
思想の核 征服・初登攀の栄誉 自然との一体・修行的
独自種目 アルパイン/キャニオニング(下る) 沢登り(登る)
岩への態度 攻略すべき相手 畏れ敬う対象(聖地・滝)
  • 西洋は「人 対 自然」、日本は「自然の中に入る」感覚が強い
  • どちらが上ではない。この差を知ると、登りの解像度が上がる

ぐっぼるが世界中の岩を登るのは、両方の視点を体に入れるため。

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第4章

道具が、ブランドを生んだ

〜パタゴニア と ノースフェイス、岩から始まった物語〜

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主役を支えた「道具」の進化

クライミングの歴史は、そのまま道具の発明史でもある。

道具 役割 生まれた背景
ピトン(ハーケン) 岩の割れ目に打つ鉄の楔 ビッグウォール時代の主役
カラビナ ロープを繋ぐ金属リング 墜落を止める要
ナッツ/カム 打たずに挟む支点 岩を壊さないために発明 ★
クライミングシューズ 小さな突起に立つ専用靴 フリー化で精密さが必要に
マット 落下衝撃を吸収 ボルダリングの安全を支えた

★この「打たない道具」の発明が、ある世界的ブランドを生む——

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パタゴニア誕生秘話:罪悪感から生まれた会社

イヴォン・シュイナード。元はヨセミテの一クライマー。

  • 1957年 — 中古の鍛冶炉を買い、自作のピトンを車のトランクで売り歩いた
  • 1965年 — トム・フロストと「シュイナード・イクイップメント」設立
  • 1970年 — 全米最大のクライミング金物メーカーに

だが、彼は気づいてしまった——

自分のピトンが、愛するヨセミテの岩を破壊している

  • 1972年 — ピトン事業を自ら捨てる決断。代わりに打たずに挟むアルミ製チョックを発売
  • カタログに「Clean Climbing(岩を変えずに登る)」の14ページの宣言を掲載
  • 結果、チョックは作るそばから売れ、ピトン事業は消滅

この環境思想がそのまま、後の "Patagonia" の DNA になった。

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ノースフェイス誕生秘話:最も過酷な面の名

1966年、サンフランシスコ。

  • ダグ・トンプキンスが銀行から 5,000ドルを借りて創業
  • 開店祝いで、あの グレイトフル・デッド が演奏した
  • 社名の由来 = 山の中で最も寒く・険しい「北壁(The North Face)」

一番楽な南面ではなく、最も挑戦的な北壁を社名にした。
——挑戦を恐れない、というブランドの宣言。

  • 創業者は2年後に株を売却 → その資金でESPRITを共同創業
  • 後年は事業で得た富で南米の大自然保護に生涯を捧げた

※ パタゴニアもノースフェイスも、出発点は「街のアパレル」ではなく「岩」だった。

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第5章

そして、オリンピックへ

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山の文化が、街のスポーツになった

出来事
2015 IFSC(国際競技連盟)が五輪入りを提案
2018 ブエノスアイレス・ユース五輪で初登場
2020(実施2021)東京 五輪正式種目デビュー(複合1種目)
2024 パリ スピードが分離しメダル数2倍
2028 ロサンゼルス ボルダー/リードも分離。正式種目化
  • 東京五輪は「スピード+ボルダー+リードの複合」で1つの金メダル
    • → 専門が違う3種目を1人にやらせる無茶に批判殺到
  • パリで改善、ロスでようやく種目ごとに正しく評価される形へ

ジムの普及で「山に行かずに始められる」時代になった。だが——

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忘れてはいけないこと

ジムは、外の岩へ出るための入口だ。

  自然の岩(240年の原点)
        ↓ 練習・育成の場として
     インドアジム  ← 今ここ
        ↓ いつか
  また自然の岩へ還る
  • 樹脂ホールドの1手も、たどればモンブランから続く文化の最先端
  • グレード(V0〜V17 / 5.6〜5.15)は数字を競う道具であって目的ではない

「V1が登れた」より「あの1手がハマった瞬間」を喜べる人が、一番伸びる。

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まとめ:あなたは240年の続きを登る

時代 出来事 キーワード
1786 モンブラン初登頂 「登るために登る」誕生
1900前後 岩自体が目的に 美しく登る倫理
1950s〜 ボルダリング独立 ジョン・ギル
1970s フリーの倫理確立 道具との線引き
1972 パタゴニアの原点 Clean Climbing
1966 ノースフェイス創業 北壁=挑戦の名
2021 五輪正式種目 街のスポーツへ
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さあ、登ろう

歴史を知った今、最初の1手の意味が変わる

次回 第II部:日本のクライミング史と、ぐっぼるの位置づけ

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